大田原市議会 2022-12-02 12月02日-04号
私にとって国体は栃の葉国体以来、ちょうど中学校でしたから、いろいろな栃の葉国体音頭とか、たくさん学校の中で国体を盛り上げるいろいろなことを経験し、当時の昭和天皇も親園を訪れてミヤコタナゴのところに来たりとか、いろいろな経験をさせていただいて、また2020年東京オリンピックは、前回のオリンピックは生まれる前でしたから、非常に楽しみにしておりました。
私にとって国体は栃の葉国体以来、ちょうど中学校でしたから、いろいろな栃の葉国体音頭とか、たくさん学校の中で国体を盛り上げるいろいろなことを経験し、当時の昭和天皇も親園を訪れてミヤコタナゴのところに来たりとか、いろいろな経験をさせていただいて、また2020年東京オリンピックは、前回のオリンピックは生まれる前でしたから、非常に楽しみにしておりました。
ロータリー内の植栽につきましては、旧庁舎敷地にあった樹木のうち、赤松2本とナツツバキ、昭和天皇お手まきの杉及び上皇陛下お手まきのタチバナを「保存記念樹」として整備をし、市庁舎の歴史を引き継ぐものであります。 また、市民憲章と平和都市宣言の記念碑を配置し、さらに、市の花であるサツキで、新たに彩り、来客の心を癒すロータリーとしてまいります。
それで、「昭和天皇実録」第17巻の236ページというところに、昭和天皇がどのような行動をされたかということが書かれている本があるのですけれども、昭和55年10月13日月曜日、午前10時20分、那須御用邸をお一方にてご出門になり、国体相撲競技を御覧のため那須郡黒羽町の黒羽町立体育館に臨まれる。ご小憩の後、ステージ上のお席に着かれ、中略をいたします。
それ以外も足利市には結構ありまして、昭和天皇が行啓された足利市緑町配水場や渡良瀬橋も県指定の土木遺産です。そして、私たちが日常使っております旧国鉄足利駅舎、現在のJR足利駅も土木学会選奨土木遺産でございます。 そういったことをたどっていきますと、全て戦前の構造物なのです。
第 1 回 議 事 日 程 (第4号) 開 議 令和2年3月18日 午前10時日程第1 議案第3号から議案第28号まで日程第2 議案第29号から議案第36号まで日程第3 議案第37号及び議案第38号日程第4 議員の派遣について本日の会議に付した事件議案第 3号 真岡市監査委員に関する条例及び昭和天皇
(第3号) 開 議 令和2年2月28日 午前10時日程第1 議案第1号から議案第36号まで及び一般質問本日の会議に付した事件議案第 1号 人権擁護委員の候補者の推薦について 議案第 2号 人権擁護委員の候補者の推薦について 議案第 3号 真岡市監査委員に関する条例及び昭和天皇
(第2号) 開 議 令和2年2月27日 午前10時日程第1 議案第1号から議案第36号まで及び一般質問本日の会議に付した事件議案第 1号 人権擁護委員の候補者の推薦について 議案第 2号 人権擁護委員の候補者の推薦について 議案第 3号 真岡市監査委員に関する条例及び昭和天皇
開 議 令和2年2月19日 午前10時日程第1 会議録署名議員の指名日程第2 会期の決定日程第3 議案第1号から議案第36号まで本日の会議に付した事件議案第 1号 人権擁護委員の候補者の推薦について 議案第 2号 人権擁護委員の候補者の推薦について 議案第 3号 真岡市監査委員に関する条例及び昭和天皇
小学校1年生のころ、議場でも何回も言いましたが、日の丸をつくって昭和天皇を迎えに行った思い出があります。 そういった黒磯駅が、黒磯の歴史は、黒磯駅の歴史でもあります。その黒磯駅周辺がこれから先にぎわうことを、恐らくにぎわうんでしょう、僕たちが小学校のころ、運動会の前だとすごくにぎわっていた。
そこで何と昭和天皇のご真影、大切なお写真、それが燃やされるという企画展があったと聞きました。大変なことでございます。私、六十数年間生きていてこういったところに天皇のご真影が燃やされる動画、こういったものが展示されるという、そういう前代未聞のことが行われていいのかというのを大変深く感じました。 「東の飛鳥」を読ませていただくと、天皇という存在は常に人々の暮らしに寄り添って生きてきています。
ご幼少の昭和天皇、秩父宮殿下、高松宮殿下、香淳皇后を初め、数多くの皇族方が塩原御用邸をご利用になられました。 戦時中、次第に戦局が悪化してくると、女子学習院の生徒212名が塩原温泉に疎開をしたため、昭和天皇の皇女であられた孝宮鷹司和子様、順宮池田厚子様、清宮島津貴子様の三内親王殿下がそれにあわせて塩原御用邸に1年有余ご疎開になられました。
町には那須御用邸があり、昭和天皇並びに上皇陛下の両陛下ともに那須の地をこよなく愛され、夏のご静養のためにほぼ毎年のようにご家族で那須に訪れてくださっておりました。今般、天皇陛下が譲位されましたが、町と皇室のつながりにつきましては、今後とも変わらぬ対応になるものと考えているところでございます。 以上です。 ○議長(薄井博光君) 室井髙男議員。
那須御用邸は、当時皇太子であった昭和天皇のご成婚後のご静養の場として、大正15年に設置されたものであり、天皇、皇后両陛下、皇太子ご一家がご静養の場としてお使いになってきました。
皇學館大学の佐川記念神道博物館の佐川眞人助教授でありますが、それによりますと、即位の礼と即位の礼が行われる日は異なるということで、例えば、これまでは大正天皇の即位の礼は大正4年に行われている、昭和天皇は昭和3年、今上天皇では平成2年に行われておりますが、今般、正式には内外に即位を宣言をするという即位礼正殿の儀が行われるのは10月22日であり、祝賀イベント等についてはそれに合わせて行うのが本式でありましょうとのことでありました
9月に開かれたソウルオリンピックで鈴木大地現スポーツ庁長官がバサロ泳法で日本に16年ぶりの競泳金メダルをもたらした直後に入った臨時ニュースでは、ご病気の昭和天皇のお見舞いに向かわれる皇太子ご夫妻、現在の天皇皇后両陛下のお姿を映していました。「お元気ですか」と語りかけるCMは自粛で音が消されるなど、昭和がいよいよ終わる予感に包まれながらも経済は絶好調、かつてない繁栄を日本は享受していたのです。
太平洋戦争が終結した直後、昭和21年1月1日に出された昭和天皇の勅書でも同じことを言われております。 議会に対する議案提出を圧縮するという意識がもし市の組織全体にあるとするならば、それが重大な問題であり、議会制民主主義と二元代表制に反する意識であると思います。
思川にかかる小倉橋下流右岸の金崎の桜堤は、1925年、大正14年、昭和天皇が皇太子のときにご成婚を記念して、地元の金崎青年団の手によって植えられました。栃木県百選に選ばれていますが、毎年春になると、植樹後93年を経過しているにもかかわらず、200本の桜は訪れる人の目を楽しませてくれております。
当ホテルは、19世紀末に奥日光湯ノ湖湖畔で創業を開始しまして、今上天皇、当時皇太子が1945年7月下旬から滞在をされまして、8月15日の昭和天皇の玉音放送を聞かれたと言われる由緒ある建物だと伺っております。1973年に益子町に移されまして、ホテルなどとして使用され、2016年に約130年を経た歴史的建造物を後世に残そうという目的のもと、町に寄進されたという経緯があると聞いております。
昭和55年に開催されました栃の葉国体におきましては、旧黒羽町で相撲競技が行われ、昭和天皇が観戦するという栄誉に浴しておりますが、その折にはお休みどころとして同センターの2階の大会議室が使われまして、陛下には那須野が原が一望できるロケーションをいたく喜ばれ、ご満悦をいただいております。
ここで、この防空ごうについてちょっと触れさせていただきたいと思いますけれども、これは戦前より戦時中にかけ、次第に戦況が悪化してくると、女子の学習院の生徒たちが塩原温泉に疎開をしたため、昭和天皇の皇女であられた孝宮鷹司和子様、順宮池田厚子様、清宮島津貴子様の三大親王殿下がそれにあわせて塩原御用邸に1年有余余り疎開をなされました。